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03...建築見て歩き アーカイブ

2007年07月30日

秩父の民家-1

旧秩父郡蒔田村の旧家である。茅葺き入母屋、中2階建ての特徴は、前面柱(正面の高く太い柱)、
連格子である。桁行き12間半、梁間4間半で、間取りは土間と床上3室よりなる広間型といわれている。
前面から2間までは、梁組を平坦に組んで中2階をつくり、養蚕を行っていた。

参考文献:日本の建築2 新建築社

秩父の民家-2

長瀞町の名主を務めていた家柄である。現在は、移築されて資料館の周辺にある。
板葺き切妻屋根民家で、埼玉県児玉郡から秩父郡に広がっていた民家の特徴をよく表す。
桁行き9間、梁間4間半、東面に茅葺きの馬屋が付属されている。当初の間取りは、桁行き方向を3分割し、下手を土間、中央を広間、上手を2部屋に分け、寝所としていた広間型である。

参考文献 日本の建築2 新建築社

神官の家

三峰(みつみね)神社に仕える人たちの住む集落で、秩父の山懐にある。棟を押さえる置千木が特徴
写真は、三峰神社内に移築されている民家


左:写真はかつての三峰集落

以下に、参考文献

整然とした田の字型に対して、秩父地方などの山間には変形とみられる型が広く分布している。横食い違い型が多い。土間側のオモテザシキを広くとり、したがって奥側のへやは横長となり、ナンドと呼んでいる。そしてオモテザシキをヒロマといい、他のへやは表をディ、トバノディ、奥をオクリ、オクノディなどと呼ぶ。

三峰神社から山の南斜面を下った山腹に、わずかなヤシキッテエラ(屋敷平ら)を切り開いて、ノザスをあげた三峰の民家が大地にしがみつくように点在する。「二間に二八尺」という基準どおりに、間口二八尺、奥行三間のイマの右側に間口二間、奥行一間のディがあり、その奥に奥行一間のナンドがつく。イノマとディの表に幅四尺の通し縁側がある。台所は間口二間、その奥に奥行一間のコザという板敷がある。この構造は素朴な三間取り型である。居の間はいろりを持つ広間であり、三峰のこのまどりはやがて秩父地方に多い広間型への過程を示すものといわれる。


埼玉県大滝村を事例としたダム移住にみる生活様式の変容~修士論文~

この20年間に全国では80カ所のダム建設により約8140戸が水没している。ダム移住者はもともと厳しい地形条件の山地集落に住んでおり、その土地の条件にかなった住み方を形成していたが集団移住地の区画された敷地に移り住んだために住み方が大きく変容せざるおえない状況におかれる。そこで本研究は、埼玉県の集団移住を事例として取り上げ、ダム移住における生活様式の変容について検討することを目的とした。まず、母集落での住居平面は部屋が直列に並ぶ直列型と2列に並ぶ並列型の構成となり、屋敷地の奥行方向に余裕があると並列型になることを導いた。さらに、家族はイマとオカッテで団らん、食事、接客、くつろぎを行い、個人は最年長世代がオクノディ、次世代が2階の部屋またはナンドを個室とし、行事・儀式は並列型がトバノディ、ザシキを利用し、直列型がイマ、オクノディのみで行う。社会生活は、班組織が水利用、情報伝達、葬式の手伝いを行い、氏子集団が地域の民俗慣行の継承に位置づいていることを求めた。移住後は住居平面がイマとオカッテ、続き間、2階の部屋で構成され、部屋の並びが並列型になる。家族は、イマで団らん、食事、接客を行い、個人は年長世代が続き間の1室、次世代が2階に個室とし、行事・儀式は続きまで行われているが、事例により異なる。社会生活は移住者のみで班を構成し、情報伝達、葬式時の手伝いを行う。氏子集団は移住者の再会の場となっている。以上、住居平面並列型からの継承がうかがえるが、ダイドコロが玄関に変わり、続き間が仕切られつつある。住み方は、個人がテレビ鑑賞、くつろぎを個室で行う。行事・儀式は、外部に委託し、母集落からの継承は見受けられない。社会生活は、地縁的結合から移住者であることの結合に変質した。つまり、ダム 移住により母集落の生活様式が変容していることを求めた。

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